
リレーブログ【第1409号】
情報社会の中で思うこと
【2019年 8月13日(火)】
世の中はたくさんの情報にあふれています。
新聞やテレビだけでなく、スマートフォンやSNSの普及により、私たちが接する情報量は爆発的に増加しました。
一説によると現代人が1日に触れる情報量は、平安時代の一生分、江戸時代の1年分とも言われています。
スマホ依存症という言葉もあるように、私たちは常に新しい情報を求め触れています。
そういう私も、目が覚めて一番にすることは、ネットニュースのチェックです。
決して行儀はよくありませんがベッドに入ったままニュース・メール・SNSをチェックしてから起き上がります。
夜寝る前もベッドの中でSNSをチェックし、友人に赤ちゃんが生まれたことを知ってイイね!をする。
きっと、皆さんの中にも私と同じようなルーティンをされている方いらっしゃるんじゃないでしょうか。
私たちが見ているこれらの情報は本当に正しいのか?
事実確認はされているのか?その背景には何があるのか?
いいね!をする価値があるのか?考えたことはありますか?
クリティカルシンキング、メディアリテラシー、論理的思考、これらの言葉には、「どう情報を判断するか」という同じ価値観が含まれています。私たちがこれからの未来を生き抜く上で最も身につけなくてはならない重要なスキルだと私は考えています。
私が議員になってから、何度かお話をする機会があった足立区出身の芸人スマイリーキクチさん、とても真面目で優しい方です。
そんな彼が、ある日突然ある凶悪事件の犯人に仕立てられてしまいました。
皆さんも知っている足立区であった殺人事件。
スマイリーキクチさんは、足立区出身で犯人グループと同世代であるというだけで、インターネット上で実行犯と名指しされ、根拠のない噂が拡大し、その後ずっと誹謗中傷にさらされてきました。
この事件は、スマイリーキクチさんを誹謗中傷した複数の加害者が、一斉に摘発された初めての事件としても報道されましたが、彼の話によれば、摘発された加害者の中で、謝罪に来た人は一人もいなかったそうです。
ネットニュースを信じてしまった、周りがみんなそう言っていた、と、加害者の多くは責任を他人になすりつけ、罪の意識がなかったそうです。
近年、トランプ大統領の登場に伴い、フェイクニュースという言葉が話題になりました。
コリンズ辞書では、フェイクニュースは《ニュース報道の体裁で拡散される、虚偽の、しばしば扇情的な内容の情報》と定義されています。
この定義のポイントは2つ。ニュースに擬態した感情を刺激する偽情報だということ、そして拡散するということです。
近年、このフェイクニュースを分析する研究が進んでいます。
MITの研究グループの調査によると、事実は1000人以上にリツイートされるのは稀だったのに対し誤情報はもっと多くの人にリツイートされ、中には数万人規模のものがありました。
また、最初の投稿がリツイートされるまでの速さは誤情報のほうが事実の20倍速く、1500人に届くまでにかかる時間も誤情報のほうが事実の6倍速かったそうです。
つまり、「誤情報は事実よりも遠く、深く、早く、拡散する」ということです。
そして興味深いのは、誤情報に対する反応には「驚き」や「恐れ」や「嫌悪」などの感情を表す言葉が含まれている割合が高いということです。
トランプ大統領の選挙戦を振り返ると、彼が人々の怒りを意図的にあおるようなツイートを行ったことは、怒りが拡散しやすいことを考えれば理にかなっていたと言えるかもしれません。
拡散されやすいニュースのもう一つの特徴は、みんなが評価しているということです。
人は、自分と似た人からのほうが影響を受けやすいと言われています。SNSは、自分の価値観と似た人と繋がりやすく、逆に価値観の異なる人とは繋がりにくいという性質があります。
つまり、自分のネットワークで評価されているニュースが世の中全体でも評価されているとは限らないということです。さらに、みんなが評価しているということは、必ずしも真偽とは関係がないということは、スマイリーキクチさんのケースからもお分かりいただけると思います。
情報があふれる中、よりその人の興味に沿うように、テクノロジーが情報を取捨選択し、表示をしてくれる機能が発達しています。
皆さんがよく使う検索エンジンのグーグルやヤフーもその一つです。
欲しい情報にすぐにたどり着けるように、というこのパーソナライゼーションの技術は便利な一方で、自分にとって関心のない情報、自分の意見とは違う情報にたどり着くことの難しさを生み出しています。
ここまで、誤情報は驚きや怒りや嫌悪などの感情に触れるため、事実よりも、遠く、深く、早く拡散されること、みんなが評価しているニュースとその真偽には関係がないこと、そしてパーソナライゼーションの技術で、取得する情報に偏りが生じるリスクがあることを書いてきました。
すべてはIT技術の進化により起きている現象ですが、私たちはこの技術進歩と、情報化社会の波から逃れることはできません。重要なのは、このようなリスクを理解し、情報を自分で判断するスキルを身につけることです。
現在の子供たちはデジタルネイティブと呼ばれ、幼いころからSNSやインターネットに接しています。しかし、幼いころから接しているからと言って、彼らが誤情報を見分けることができるか、というとそうではありません。私たちは意識してそのスキルを身につける必要があります。
アメリカでは、すでにメディアリテラシーの教育が盛んに行われています。
アメリカのニュージアムというジャーナリズムの博物館では、フェイスブックのサポートを受けて、“ESCAPE Junk News”というポスターを作成しました。これは、インターネットで目にする情報を評価する際に疑ってみるべき、6つの項目の英語の頭文字をとったものです。
Evidence(証拠):その事実は確かかな?
Source(情報源):誰が作ったのかな?作った人は信頼できるかな?
Context(文脈):全体像はどうなっている?
Audience(読者): 誰向けに書いている?
Purpose(目的):なぜこの記事が作られた?
Execution(完成度):情報はどのように提示されている?
特に、証拠と情報源を確認する習慣は最も重要です。
これはネット情報だけに限らず大事なことで、私も日々の仕事でも重視しています。
日頃、多くの街の方から相談を受けます。
だれだれがこう言っていたので対応してほしい。
これこれで困っているから対応してほしい。などなど
当事者は本当にそう言っているのか?他にもステークホルダーはいないのか?
そんな相談に対して、私は必ず、当事者本人と話しをし、現場に足を運び、自分の目で確認して、必要に応じて、適切な窓口に相談します。
それは、伝聞には必ず話し手の主観が入るからです。話し手の話を信用してないという事ではありません。
多角的目線で判断をするためには、自分で確認することが重要だと、過去の経験から学びました。
私はその意識をみんなが持つ事がこれからさらに進む情報化社会を生き抜く必要スキルだと思っています。
聞いたこと、見たことを鵜呑みにせず、あえて違う角度から物事を見てみる。
その上で、物事を理解し判断する。
その繰り返しがきっと、論理的な思考を深め、情報に振り回されない、豊かな生活に繋がると考えています。ひいてはそれが相手を思いやる人間らしいさを思い出させてくれると思っています。
そう言った情報社会の中で我々がより豊かな生活を得られるよう政治の立場から環境作りに取り組んでいきます。
ウェブサイトでも日々の活動を発信しています。
http://www.kosukenagasawa.com/https://www.facebook.com/nagasawakosuke.official/
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